4月5日「受難の主日に」

キリスト教のシンボルはたくさんありますが、なかでも十字架は代表的なものです。なぜなのか今日から始まる「聖週間」の中でその意味が明らかにされます。
「聖週間」はイエス・キリストの死と復活を記念する、キリスト教典礼歴で最も重要な時期です。
キリスト教の出発点であり、完成の時でもあるといえるでしょう。
聖週間の間、イエスの歩みの頂点である十字架と復活への道をわたしたちも体験させていただきましょう。
 
聖週間は「受難(枝)の主日」から始まります。
今年は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)という特別な状況の中で、聖週間を迎えました。
イエス様の受難と十字架の苦しみが、世界をパニックに陥れているコロナ問題と重なってきます。
そこにはどんなメッセージが隠されているのか、無言の声を聴くことが大事ではないでしょうか。
わたしの心に真っ先に浮かんでくるのは、人間の高慢さに対する細菌の挑戦ではないかという思いです。
物があふれている日常生活の中で今こそ何が一番大切かを見極め、行動していくようにとの神さまの呼びかけかもしれません。
イエスさまが最後の晩餐の翌日、十字架上で亡くなられ、翌朝復活なさるまでの期間「聖なる過ぎ越しの三日間」と呼びます。
イエス様は受難と死を過ぎ越して復活の栄光に入られました。どんな苦しみや悲しみも必ず喜びに変えられるという、キリスト教の希望のメッセージです。
「神の御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように、(霊は)ともに働く」のです。(ロマ8:28)

援助マリア修道会
杉原法子