小沢章友

 

まず、初めてのヴォランティア活動に参加の機会を作ってくださったシスター杉原、そして福島へ引率してくださったシスター和田に感謝いたします。

二泊三日の福島体験で、つくづく思ったのは、「実際に見なければ、わからない」ということでした。それは、日常の平和な空間とは異なる危険な空間が、いまも存在しているという「いまさらながらの発見」でした。放射線量が高いため、厳重に封鎖されている「立入禁止」の空間が、いまも野山や町にひろがっているのです。

放射能で汚染された土を一トン詰めた真っ黒な「トン袋」が、いたるところにピラミッド状に積み上げられている光景には、戦慄を禁じえませんでした。しかも、「あれらは、どう処理されるのか?」という問いの答えは、まだ見つかっていないのです。「ほんとうに、どうすることも、できないのだろうか」と、「トン袋」の山を見ながら、無力感をおぼえました。それでも、土や草木が除染された地域にもどって来て、けんめいに町の復興をめざして活動されている人たちには、頭がさがりました。

「核を持ってしまった人類は、どこへ行くべきか?」「世界が滅びないためには、どうすればよいのか?」この問いを、私たち一人一人が真剣に考えるために、できるだけ多くの人に「福島を見てほしい」と、心底思いました。

さらに、二日目、幸田司教による「朝のミサ」に、感動させられました。

――ある特別な病に苦しみ、それまで、かたくなに信仰を拒んできた方が、「イエスはひとり門の外で苦しんでおられた」という聖書の一行に触れ、「もしやイエスは自分と同じ病を抱えて、ゴルゴダへ向かわれたのではないのか?」という考えが、ふと心の中に生まれ、それがきっかけとなって、信仰にめざめ、洗礼を受けられた……。

「触れる」というテーマで、司教が語られた、感動的な話。人は誰しもそれぞれ「弱さ」を抱えている。そして、私たち一人一人が抱えている「弱さ」、それらをすべて、イエスも抱えておられたのかもしれない……。南相馬の教会の聖堂で祈りながら、「人の子」イエスのかぎりない「弱さ」と「強さ」を思い、涙がこぼれました。