教会の典礼では、2月14日の「灰の水曜日」をもって四旬節が始まります。わたし達はこの四旬節をどのように相応しく過ごせるでしょうか。
灰の水曜日の典礼では、「回心して福音を信じなさい」という司祭の言葉とともに、額に灰で十字の印をつけていただきます。かつての典礼では、「あなたは塵であり、塵に帰りなさい」と、塵に帰ることを思い出させる祈りでした。灰を受けながら、私たちが塵にすぎない者であることを思い起こし、誰もが行かなければならない魂の故郷を黙想することへの招きであるように感じます。
マタイの福音では、四旬節に為すべき善行は、施し、祈り、断食であるが、その動機が問題であると厳しく語ります。イザヤが「私の選ぶ断食とは、悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること、さらに飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう人を家に招き入れて、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと」(イザヤ58/6-7)と言っているように、善行とは人への思いやりであることを忘れてはならないということではないでしょうか。マタイは「見ておられる父」を繰り返し、神さまはわたし達をいつも見ていてくださるのだからあなた達も神さまをしっかり見つめる時だと語ります。施し、祈り、断食の善行はは、わたし達が神さまをじっと見つめるために大きな助けになるのではないでしょうか。

四旬節第一の主日に朗読されるマルコ1章は、悪魔の誘惑の場面から始まりますが、他の福音にあるように誘惑の手段は全く書かれず、イエスの勝利をほのめかす短い一節です。イエスを荒れ野に送り出したのは「霊」であり40日間天使が仕え、野獣もまた楽園におけるように人間の供となり、平和な状態が現実となると語り、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と、次の件にごく自然に続いていきます。マルコは、イエスと共に神の国が到来していることを強調しているようです。

2月14日 灰の水曜日 夕ミサ 19時 (通常のミサの時間との変更にご注意下さい。)
2月18日 四旬節第一主日 10時のミサで志願式が行われます。