貫く光   八木重吉

はじめに ひかりがありました
ひかりは 哀しかったのです。

ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたえました
にんげんの こころも
ひかりのなかに うまれました
かなしかれと 祝福いわわれながら

 

皆さま、御復活おめでとうございます。

この時節になると、八木重吉の「貫く光」という詩を思い出します。今年は皆さまと一緒にこの詩を味わってみましょう。ひらがなの表記から、復活の夜明けのやさしい光が地上に広がっていくイメージを感じてみましょう。

ひかりのもつ「哀(かな)しみ」、これは十字架にかけられたイエスのこころをずばり言い得た表現ではないでしょうか。ヨハネの福音にある「一人も失わない」という、人間に対する哀しいまでの愛を「慈愛」(アガぺ)と呼ぶことができるのです。イエスが十字架上に貫かれて流れ出たこの「いのち」こそが、「ひかりのなかにうまれた」新しい創造の息吹きなのだと詩人は言います。まさに復活は新しい創造なのです。

地上の愛はかなしみなしにはないのかもしれません。イエスの愛は、この人の痛みや悲しみがわかる慈愛なのです。この復活祭に当たり、混沌とした現代の社会にあって、「共に在ること、ともに哀しむこと」を優先していくよう呼びかけを感じます。

先日、東日本大震災と原発事故の被災地南相馬に何人かの仲間が訪問し、貴重な体験をしてこられました。このホーム・ページに、「現地を訪問し初めて見えてくること」を分かち合ってもらいました。寄稿してくださった皆様に感謝申し上げます。

援助マリア会 杉原法子