主の奉献の祝日おめでとうございます。

1ルカ2・22-37
モーセの律法に定められた清めの期間が過ぎたとき、両親はイエスを主に捧げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
その時、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰が篤く、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまで決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが霊に導かれて神殿の境内に入ってきたとき、両親は、幼子のために律法の規定通り、にいけにえを献げようとして、イエスを連れてきた。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉通り、この僕を安らかにさらせて下さいます。わたしはこの目で救いを見たからです。これは万民のために整えて下さった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れで
す。」

「主の奉献」の祝日は、主の降誕から40日目にあたる2月2日に祝われます。「初めて生まれる男子が、主のために聖別される」ためです。
預言者マラキは、「あなたたちが待望している主は、突如その聖所に来られる」と預言しています。それを待ち望み、正しく生きる人たちがいました。それがシメオンであり女預言者アンナでした。

シメオンは信仰篤い人で、ひとつの御告げを受けていました。「やがて現れる救い主、メシアに会うまでは、決して死なない」と。シメオンは霊に導かれて神殿に入り、幼子の為にいけにえを献げる両親に会い、幼子を腕に抱きます。その腕に抱かれた幼子こそ、シメオンがしかと見とどけた「救い」でした。神と人とを結び合わせる接点でありました。シメオンは神をたたえ、両親を祝福します。この「シメオンの歌」は教会の祈りの「寝る前の祈り」で唱えられています。一日の終わりに、イエスとの出会いをふりかえり、わたしの祈りとしたらどうでしょうか。
「主よ、わたしはこの目で救いを見ました。これは万民のために整えて下さった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

Ⅱルカ2・38-40
父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「ご覧なさい。この子はイスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ,また、反対を受けるしるしとして定められています。・・・あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。・・・多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち,知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

イエスは「救い」であると同時に「反対を受けるしるし」であると、イエスの将来について厳しい面が告げられます。この幼子は「救い」をもたらすが、そのためには苦しみを忍ばねばならないと。マリアに、あなた自身も「剣で心を刺し貫かれ」苦しみを共にすることになる」と予告します。マリアはこの言葉をどのような思いで受け止められたのでしょうか?イエスの苦しみの大きさを完全には理解できないように、マリアの悲しみの大きさも、私たちには十分には分からないでしょう。講座でもお話ししたように、フランスの思想家ガブリエル・マルセルは「人生のさまざまな出来事は問題か神秘か、どちらかである。問題と取れば解決しなければならないが、神秘として捉え心にとめて温めるなら、その意味がだんだん分かってくる」と言っています。マリア様は、この出来事も「すべて心に納めて、思いめぐらして」おられたに違いありません。

その後イエスについて、「幼子はたくましく育ち,知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」としか書かれていません。故郷ナザレでの30年私的な生活。比較的安定したユダヤの社会層に属し、教育も受け、人として信仰者として育って行かれたのでしょう。幼少期から青年期のイエスはよほど卓越した才能を持っておられたようです。その非凡さは、イエスの公的生活で表わされます。たとえ話や教えは、ナザレの生活の中で蓄積された体験であり知恵であったのです。