『鷲の翼』より  Fコールリー著
杉原法子訳

 十六世紀という時代は、まれに見る人物が輩出され、それが良きにつけ悪しきにつけ、後に続くあらゆる世代に影響を及ぼしたということではきわめて注目すべき時期であると言える。教皇や君主、政治家や彫刻家、詩人や画家、改革者や革命家、これらの驚くばかりの人々の中に、背丈5フィートをわずか1,2インチばかり上回るひとりのバスク貴族がいた。この足が不自由で頭のはげた男の登場は、これら輝かしい人々の群れの中でも注目の的となった。彼は、腕に小さな本を抱え、心に一つの願いを抱く一人の兵士であり、神を愛する人であった。この人こそイグナチオ・ロヨラであり、彼は「より大いなる神の栄光」を求める望みに燃えて、一冊の『霊操』書のもとに、信仰で武装する仲間たちを集めていたのである。

 イグナチオが、バスク地方ギブスコアのアスペイチアという小さな町に生まれたのは、1491年、つまり、フェルナンドとイザベラが、戦火にまみえるスペインの、回教徒の最後の砦グラナダから、ムーア人をついに敗走させるその前年のことである。父ベルトランは、末息子の教育を、フェルナンドの王の宮廷に仕えていたホアン・ベラスケス・チェイエルに委ね、イグナチオはそのもとで26歳まで過ごしている。若いイグナチオは厳しい訓練を進んで受け、彼が名をいただく先祖のたくましい忠誠心を受け継ぎ、勇敢な騎士、凛々しい廷臣、情熱に燃えるロマンチストとして、穏健なカトリック教徒に育っていった。イグナチオは後に、その若き日について次のように書いている。「26歳まで世俗の虚栄におぼれていた。空しい名誉欲を抱き、武芸を楽しみとしていた。」と。彼の軍人生活は突如終わりを迎える。

 1521年5月、フランス王フランシス1世はスペインのナバラ地方に進軍し、イグナチオの所属部隊が守備していたパンプローナの城塞に攻め寄せた。スペイン軍の司令官は、もはやどんな抵抗も無益であるとみて、部隊に投降を命じた。しかし、イグナチオは、勇敢にもその命令を撤回し、武将たちに抗戦を強いた。ところが敵の総攻撃を受け、彼自身両足に傷を負って戦場に倒れたのである。スペイン軍が降伏し城が陥落すると、フランス軍はこの勇壮な負傷兵を丁重に介抱し、アスペイチアの彼の家まで運んだ。イグナチオは恐ろしい手術を受けたが、医者のあらゆる施療もむなしく、彼の右足は生涯短いままであった。

 家で長い退屈な日が続いた。彼はこの療養の日々を読書に過ごすために騎士物語を求めた。家にそのような本がなかったので、兄ガルシアは、そのかわりに2冊の本を彼に与えた。それは、ルドルフ・フォン・ザノセン著『キリストの生涯』と、スペイン語版の翻訳本『聖人の華』という聖人物語だった。この傷ついた兵士は、神の恵みに促されて、これらの本に読みふけった。彼が、この聖人伝にみたキリストの英雄たちに倣って、自分の人生を変えようと決断したことは、印象的なことである。イグナチオは健康を取り戻し、床を離れると、二つのことを決断した。すなわち、過去に犯した罪を償うこと、そして将来、聖人たちに倣ってキリストへの忠誠を尽くすことであった。

(次回に続く)