聖イグナチオ教会は、今年度「福音を伝える」という目標を掲げて、「沖に漕ぎ出し」ました。教会のこの活動を支える原動力となるよう、五月からは「聖体礼拝」が始まりました。毎木曜日の夕ミサ後、ザビエル聖堂で、皆さんとともに捧げる聖体礼拝の祈りの力が、大きなうねりとなって高みへと挙げられていくように感じています。

イグナチオ教会は「ミッション2030」を目指して、刷新のときを生きています。信徒一人ひとりが受けているミッションを深めるために、その原点にさかのぼってみる必要があるように思います。いうまでもなく、その泉はイエス・キリストです。私たちのミッションは、このイエス・キリストのうちに、キリストによって聖なるものとされ、奉献されるからです。
いつも朝早く静かなところに退いて祈っておられるイエスの姿を、聖書は語っています。「父が私をお遣わしになったように、私もあなたたちを送る」と言われるイエスは、常に御父を観て、御父との深い交わりの内に、ご自分の使命を受けとり遂行されました。私たちがそのイエスを観想することは、御父との深い関わりの内に生きておられるキリストを仰ぎ見ることです。キリストの派遣に参与するよう呼ばれている私たちも、常にこの視野に立ってみなければなりません。私たちはいつも御父に向かい、そして人々に向かうキリストの心を持って、喜びの使者となるミッションを受けているのです。

聖体礼拝は聖イグナチオの精神に基づく使徒的な祈りでもあります。聖イグナチオは弟子たちに、神との一致を求める密度高い祈りの必要性を強調しています。「神の協力者」であるためには、遣わされた方をよく聴く心の姿勢が必要だからでしょう。聖体礼拝を通して、私たちは神との深い親しさに招かれています。そして、この愛の秘跡を絶えず仰ぎ見るなら、どこまで神と人々に自己を与えねばならないか、思い起こさずにはいられません。
聖体礼拝のもう一つの側面は、使徒的働きの現場で出会う出来事や人々をご聖体の前に運び、現代の苦しみ悩む世界のために祈ることです。その意味では、聖体礼拝そのものがミッションの役割を持っているといえます。使徒的働きからくるこうした祈りを、ご聖体におられるキリストを通して捧げることによって、活動と祈りが一つになります。

私たちキリスト者は、福音の喜びを運ぶために派遣された者です。
この使命を遂行するために、すべての恵みの泉であるご聖体に絶えず帰らなければなりません。このような聖体礼拝を行う中で、神との出会いを深め人々のもとへ派遣されるとき、祈りと活動が統合され、私たちのミッションは、実にイグナチオ的でダイナミックなものとなるでしょう。

援助マリア修道会
杉原法子