援助マリア会 杉原法子

主のご降誕の喜びのうちに、新しい年をお健やかにお迎えのことでしょう。 

昨年、フランシスコ教皇様を日本にお迎えできたは大きな喜びでした。
いただいた呼びかけに応えて、すべての命を大切にできる社会の実現を目指し、日々邁進していきたいと願っています。
皆様とご家族の上に、神様の豊かな祝福と恵がありますようお祈り申し上げます。

“神の母マリア”の祭日
教会は、12月25日から数えてちょうど8日目にあたる今日、1月1日に“神の母マリア”の祭日を祝います。
マリアさまには、救い主としてのイエスの使命に、自分も深く一致するという母の姿がみられます。今日も恵みそのものであるイエスを私たちに示し、与え続けてくださいます。

今日はまた、「世界平和の日」でもあります。世界の人々と心をひとつにして、世界の平和を祈り求めましょう。以下、教皇様のメッセージの概要を掲載します。
(概要は杉原によるもので多分に主観的です。全文を読まれることをお勧めします。)
全文:カトリック中央協議会HP

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2020年「世界平和の日」教皇メッセージ(2020.1.1) 概要
「希望の道である平和――対話、和解、エコロジカルな回心」

  1. 平和――障害や試練に直面する中で歩む希望の道のり
 平和は、尊い宝、わたしたちの希望の対象、全人類が切望してやまないものです。平和の望みがあるからこそ、現在がときに困難な状況にあっても、「わたしたちはそれを生き、受け入れることができます。希望とは、たとえ克服できそうもない障害に直面しても、わたしたちを踏み出させ、前に進む翼を与えてくれる徳なのです。
    戦争と紛争は、もっとも貧しく弱い人々に害を与え続けています。今日でも、非常に多くの人が、老いも若きも、尊厳、身の安全、信教の自由を含む自由、共同体としての連帯、未来への希望を否定されています。罪もない無数の犠牲者が、侮辱や排除、死別の悲しみや不正義、さらには当然ながら、同胞や愛する人が組織的な攻撃を受けたことによるトラウマのために苦しんでいます。
    戦争は、多くの場合、相手の違いを受け入れられないことから生じていることは言うまでもありません。そうした不寛容は所有欲や支配欲を助長します。戦争は、さまざまな関係の歪み、覇権への野心、権力の濫用、他者や異なるものを障害と見なすことで生じる恐怖心によってあおられます。
    先日の日本への司牧訪問で強調したように、逆説的ではありますが、「わたしたちの世界は、倒錯した二分法の中にあります。それは、恐怖と不信の心理から支持された偽りの安全保障を基盤とした安定と平和を、擁護し確保しようとしているからです。人と人の関係を毒し、可能なはずの対話を阻んでしまうものです。国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が、相互依存と共同責任によって築く未来に奉仕する、連帯と協働の世界的な倫理によってのみ実現可能となります」。
    どうしたら平和と相互尊重への道を切り開けるのでしょうか。どうしたら脅威と恐れに基づく不健全な論理を打ち破れるでしょうか。どうしたら現在蔓延している不信の流れを断ち切れるでしょうか。わたしたちは、神という共通の源に根差した、対話と相互信頼のうちに実践される真の兄弟愛を追い求めなければなりません。平和への願いは、人間の心に深く刻まれています。決して、それより劣るものに甘んじてはなりません。
  2. 平和――記憶と連帯と兄弟愛に基づいた、耳を傾けるという道のり
  ヒバクシャ――、広島と長崎に投下された原爆の生存者は、1945年8月に起こったことの恐ろしさと、 今日までの筆舌に尽くしがたい苦しみを、次世代の人々に証言することで、共同意識の炎を今もともし続けています。彼らの証言は、どのような支配欲や破壊欲を前にしても人間の良心をさらに強固にするために、犠牲者の記憶を呼び起こし守っています。
    ヒバクシャと同じように大勢の人が、世界中で、記憶を守るための活動を次世代の人々のために行っています。それは、同じ過ちを再び犯さないため、あるいは過去の妄想的な企てを繰り返さないためだけでなく、経験の実りである記憶が、平和に向けた現在と未来の決断の根拠と刺激となるようにするためでもあります。
    記憶はさらに、希望の地平です。戦争や紛争の闇に何度覆われても、連帯のしるしをわずかでも受けたという記憶があれば、勇敢で、英雄的でさえある決断をくだすことができます。そして個人や共同体の中にまったく新しい力を生み出し、新しい希望の炎をともすことができるのです。
    平和の道のりを切り開いて進むことは、ますます複雑な挑戦となっています。個人、共同体、国家間の関係に付随する利害が多様で相反しているからです。何よりもまず道徳心と、個人の意思と政治的意思に働きかけなければなりません。平和はまさに、人間の心の奥底から現れます。そして、政治的意思は、つねに新たにされなければなりません。それにより、人々と共同体を和解させ一つにする、新たな道が開かれるのです。
    わたしたちは、自分たちを和解させるためにご自身のいのちをささげてくださったキリストを、キリスト者としての体験を通してつねに思い起こしています(ローマ5・6-11参照)。教会は、キリスト教の価値観の伝達、道徳的な教え、さらには社会的・教育的活動を通して、正しい秩序を実現させるために全身全霊をかけてかかわり、共通善のために尽くし、平和への希望をはぐくみ続けているのです。
  3. 平和――兄弟姉妹の交わりにおける和解の道のり
  聖書は、とりわけ預言者のことばを通して、人間と結んだ神の契約を、各人の心と諸民族に思い起こさせ、他者を支配しようという欲望を捨て、互いを人間として、神の子として、兄弟姉妹として見られるようにするということです。発言や行動だけで相手を決めつけるのではなく、もっている可能性のゆえにその人を大切にすべきです。尊重する道を選んではじめて、報復の連鎖を断ち切り希望の道に踏み出せるのです。
    わたしたちは、ペトロとイエスの間で交わされた次の会話を伝える福音によって導かれます。「『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回ゆるすべきでしょうか。七回までですか』。そしてイエスはいわれた『あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までもゆるしなさい』」(マタイ18・21-22)。この和解の道のりをたどるためには、ゆるす力と、互いを兄弟姉妹として認める力を、心の奥底に見いださなければなりません。ゆるしながら生きるすべを学ぶことにより、わたしたちは平和の人となる力をいっそう高めることができるのです。
  4. 平和――エコロジカルな回心の道のり
 「わたしたちが自らの行動規範を誤って解釈し、自然の濫用を正当化したり、被造界に対して横暴に振る舞ったり、戦争や不正や暴力行為に手を染めたりすることがあったのであれば、わたしたち信仰者が認めるべきは、それによってわたしたちは、自分たちが守り保つよう招かれた知恵の宝に不忠実だったということです」。 わたしたちは、他者への敵意、共通の家への敬意の欠如、天然資源の濫用――地域社会や共通善、自然界にまったく配慮せずに、資源を目先の利益の手だてとしかみなしていません――の結果に直面しており、エコロジカルな回心が必要です。
    この和解の道のりは、神が共通の家とするようにとわたしたちに与えてくださったこの世界に耳を傾け、観想することでもあります。天然資源、さまざまな形態のいのち、そして地球そのものは、まさに、「耕し、守るように」(創世記2・15参照)と、そして未来の世代のために、一人ひとりが責任をもって積極的にかかわるようにと、わたしたちに託されているのです。わたしたちはまた、他者との出会いや、創造主の美と知恵を映している被造物というたまものの受容に向けて、自分たちの信念と観点をさらに開かれたものに変える必要があります。
    ですからわたしたちが訴えているエコロジカルな回心は、地球を与えてくださり、喜びと節度をもってそれを分かち合うよう繰り返し呼びかけておられる、創造主の惜しみのなさについて考えることを通して、新たなまなざしでいのちを見つめるよう、わたしたちを導いてくれます。この回心は、わたしたちと兄弟姉妹との関係、他の生物との関係、ありとあらゆる被造物との関係、すべてのいのちの源である創造主との関係の変質として、完全なかたちで理解されなければなりません。キリスト者は、「イエス・キリストとの出会いがもたらすものを周りの世界とのかかわりの中であかし」するよう求められているのです。
  5. 希望するだけのものをすべて、勝ち得ることができる。和解の道のりには、根気と信頼が欠かせません。平和は、望まなければ決して実現しません。それは何よりもまず、平和の実現を信じること、そして相手も自分と同じように平和を求めていると信じることです。そうして初めて、わたしたち一人ひとりへの、神の自由で、限りのない、無償で、飽くことのない愛によって導かれることができるのです。
    父なる神の恵みは、無条件の愛として与えられています。キリストにおいて御父のゆるしを受けたわたしたちは、現代に生きる人々にその恵みを差し出すために歩み始めることができます。平和の神がわたしたちを祝福し、聖霊が毎日、わたしたちを助けに来てくださいますように。
    平和の君の母であり、地上のすべての人の母であるマリアが、和解の道を一歩一歩進むわたしたちに寄り添い、支えてくださいますように。この世に生まれたすべての人が、平和な生活を味わい、心に抱く愛といのちの約束を十全に果たすことができますように。

    バチカンにて
    
2019年12月8日
    
フランシスコ