わすれない復興支援の現場から

米澤朋英

2017年の5月、ボランティアとしてカリタス南相馬に入り、現在スタッフとして参加させていただいております。
4月に洗礼を受け、皆様の応援により、ボランティア経験のない私が、飛び込む気持ちで原発事故被災地に入りました。
見るもの聞くもの全てが初めてであり現地を最初に見た時はショックを受けました。
人が居なくなった街並みや田園風景のはずが荒涼とした野原になっている風景。津波でなくなった港町。放射線廃棄物を詰めた黒い袋(フレコンバック)が山のように積まれた光景。帰還困難区域のバリケードされた荒廃した家々。メガソーラーが田畑を埋め尽くした異様な光景。
2017年3月31日に福島県浪江町、飯舘村、川俣町、富岡町が避難指示解除になりましたが、現在も住民数は原発事故前の1割も帰宅していない状況です。
帰還困難にしているのは、生活インフラの遅れや放射線量の不安、長い避難先での生活基盤の移行でしょう。
帰還困難区域の解除のめどがたたない現在、今後も支援が必要な地域です。
「もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」ルカ19-40
マスコミや人々の会話の中で福島をとりあげられる事が少なくなった今、これからも被災地の厳しい現状を伝えていきたいと思います。