12月8日はマリア様の「無原罪の御宿り」の祭日です。今年は待降節第2主日と重なったため、9日月曜日に祝われます。
マリア様は特別な恵みによって、その存在の最初の瞬間から、あらゆる罪から守られていました。神の子イエスの母となるように選ばれたマリアさまが罪の状態に置いておかれるはずはありません。「しみもしわも汚れもない聖なる教会」の前表として、教会はこのマリアの特別な恵みを、「無原罪の宿り」と表現し、1854年、大切な教義として定めました。祝日は12月8日です。それを確証するかのように、ちょうど2年後、ルルドでベルナデッタへの出現があり、ご自分の名を「原罪なく宿りし者」と明かされました。

マリア様の賛歌(ルカ 1:47-55)         
わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低いこの主のはしために御目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう。
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。

一般的に、マリアさまのイメージはおとなしく従順な女性であるようですが、完全に自由を持って神のみ旨を受け入れたマリア様は、信念を持った主体的な女性でした。そのマリアさまの主体性が最もよく現れているのが「マグニフィカト」の祈りです。
身重のマリアがいとこのエリザベトを訪問したときに歌われたもので、ご自分が神の前で何者であるかを高らかに歌われます。マリアさまは、自分の弱さの中で働かれる神の偉大さをよくわかっておられたからこそ、ご自分を幸いなものと呼ばれます。自分の小ささを知る者だけが歌うことができる賛歌です。マリアさまのセルフイメージのなんと素晴らしいことでしょう。
後半は、神の約束が成就する時、新しい時代の到来を待ち続けていたイスラエル全体を代表するかのような歌です。神の忠実さを賛美し、それに対する民の信頼が歌われています。「主は思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、富める者を空腹のまま追い返される」という件は女性の発言としては驚くべきことです。マリアさまは、神が謙遜な者、虐げられている者を高く上げられ、この世の支配者たちをその特権から追い払うと宣言することをためらわない女性でした。

(援助マリア会 杉原法子)