6月8日
イグナチオ教会
杉原法子

 

信徒と求道者の皆さま

「イエスのみ心」の祝日おめでとうございます。

教会典礼暦では、「三位一体」の主日に、「キリスト聖体」の祭日と美しい典礼が続いてきました。六月から「イエスのみ心」の月が始まり、8日金曜日はその祝日にあたります。その日はヨハネの福音が朗読されます。

「その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、安息日に遺体を十字架の上に
残いておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士が来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足はおらなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証しており、その証は真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。これらのことが起こったのは、『その骨は一つも砕かれない』という聖書の言葉が実現するためであった。また、聖書の別のところに、『彼らは、自分たちの突き刺した者を見る』とも書いてある。」
(ヨハネ19:31~35)

イエスさまが十字架上で亡くなられた後、主の遺体を取り降ろす際、兵士が槍でその脇腹を突き刺すと、「血と水が流れ出た」と書かれています。これはとても不思議な出来事です。同じヨハネの手紙には「イエス・キリストは水と血をとおってきた者、水と血においてである」とあるので、これと対応させて読むと、「水」というのはイエスさまも受けられた「洗礼」を、「血」はイエスさまが「世の罪を取り除く神の小羊」となって、私たちのために生贄(いけにえ)となられたことを指し示す、とても重要な意味を持っているようです。この世に生きる私たちが、罪を赦され、新しい命に生きる者とされるためになくてはならない「水」と「血」なのです。
十字架上から注がれるこの「生きた水」が、いつまでも川となって流れ出るようにと、イエスさまはさらにご聖体の秘跡を定めてくださいました。世の終わりまで、私たちの中に留まり共にいてくださるために。
ご聖体をじっと眺めることによって、十字架上で命を懸けて愛して下さったイエスのみ心を深く観想できるのではないでしょうか。イグナチオ教会では、毎週木曜日の夜、聖体礼拝を行っています。どうぞ皆さまもご参加ください。