ルカ23・35-43
「その時、議員たちはイエスをあざ笑って言った。
『他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救が良い。』兵士たちもイエスに近寄り、酸い葡萄酒を突き付けながら侮辱して、言った。『お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。』イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王』と書いた札も掲げてあった。
十字架にかけられていた犯罪人の一人がイエスをののしった。
『お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。』するともう一人のほうがたしなめた。『お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この型は何も悪いことをしていない。』そして、
『イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください』と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。

 私たちの王は世でいう権力や富、統率力や栄華を誇る王ではありません。この祭日が定められたのは1925年、教皇ピオ11世が地上の独裁者ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンという全体主義に対して、十字架上で君臨するキリストこそ真の王であると一石を投じられたのです。イエス・キリストは私たちのためにご自分の命を注ぎだして赦しと平和を勝ち取られました。
イエスの十字架の両脇には二人の犯罪人十字架にかけられていました。絶望しつつ神をののしる犯罪人、「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」と。もう一人には、自分は有罪であり、イエスというお方は無罪であるということが見えていました。この二人は人間の中にある両面を表しているように思います。自分が苦しい状況にあるとき、もがいてイエスさまに文句を言う。メシアなら救ってくださいと。でもこれが人間の本音かもしれませんね。小さな自分ですから。でも、そこから、苦しみの中から、十字架のイエスさまに、「主よ、共にいてください」と願う、もう一人の犯罪人にシフトできるとどんなにかいいことでしょう。 この受諾の祈りができるように願いましょう!!

援助マリア会  Sr.杉原法子